登場人物──父と娘
【父】 どうしたの、おまえ、
そんなに目を輝かせながら瞑ったりして。
まるで生まれたばかりの小鳥が、
まだ何も知らないままに、
ほかの小鳥たちと一緒に母さん鳥はどこか
と恐る恐る巣から顔を覗かせるそのように
今のおまえの目は輝いている。
【娘】 ──起きてるの?
【父】 ああ。声が聞こえるだろ?
【娘】 うん。私も起きてるの。
いま目を覚ましたばかりで。
その、私……
【父】 なんだい? おまえ、話してごらん。
夜はまだ長いから。
【娘】 でも、もうすぐ夜明けでしょ?
そろそろせっかちな鳥たちが、
昨日の明るさを取り戻そうとお空に
音楽を添える頃合だよ。
私、知ってるんだから。
【父】 関係ないよ、そんなのは。
心配することなんてないんだ。
構わず話してみなよ、おまえ。
ほら、夜はとても静かだろ?
それにまだ暗い。
まるで時も眠っているかのようだ。
【娘】 私たちは起きてるよ。
【父】 うん、起きてる。起きていながら、
他の眠りを妨げてはいない。
まるで風みたいじゃないか。
夜の川や木立を荒らさないで、
その頬にそっと口づけを与えながら
穏やかに吹き渡る風みたいだ。
【娘】 うん、そうだね。
私、わかる気がする、
なんとなくだけれど。
【父】 それでいいんだよ、おまえ。
さあ、話してごらんよ。
それとも、話したくはないの?
【娘】 ええ、正直、あまり話したくはないの。
だけど、誰にも言わないって、
そうちゃんと約束してくれたら、
私、話すよ。
【父】 わかった。約束するよ、おまえ。
約束した、約束したよ。
【娘】 ……わかった。
私話すね──あのね、夢を見たの。
とても怖い。
とても怖くて、とても綺麗な夢。
私の目の前で産声を上げて、
今はもう独り立ちしてしまった夢。
そう、まるで夢だったのが残念なくらいに
あれは綺麗なひと時だった。
全然覚えてないんだけれど、
本当にそうだったの。
信じてくれる?
【父】 ああ、信じるよ。勿論。信じるともさ。
【娘】 それで私ね、
その夢の最後で、殺されちゃったの。
誰かか、大きな何かに。
ええ、とても大きな、大きな何かに。
でも、怖くはなかった。
私、自分が殺されるって知らなかったから。
怖がろうにも、怖がれなかった。
ずっと自分は生きてるものだと思ってたの。
だから、その大きな何かに殺されて
しまった時は、とても驚いた。
びっくりしすぎて、
心臓が止まっちゃうくらいに。
【父】 おまえはまだ生きているよ。
父さんの横で、それもまるで
夢でしか会えない妖精のような姿で。
【娘】 ううん、それは違うよ。私は死んだの。
一回だけ。一回だけの、夢の中で。
誰かに何かされて、
自分が死にそうだって気づいた後が、
一番怖かった。
その時になって、
本当に死んじゃうって思ったもの。
目に見える形で、死が私に迫ってきたの。
【父】 おまえはまだ生きているよ。
【娘】 でも私、死んだりはしなかった。
ううん、私は死んだの。
だからあの時の私はもう一人の私。
私が殺されてから出てきた、
もう一人の自分。
でも彼女は、いつだって私の中にいたの。
こうして話してる今だって、
きっと彼女はいるの。
私の中に、私として……
──私、何かおかしい?
【父】 いいや、全然。そんなことないさ。
おまえは夢を見ていたのだから。
それもとびきり怖い夢を。
【娘】 ええ、そう。私は夢を見ていたの。
怖い夢──真夜中のお月様みたいに、
悲しい夢。
でね、そのもう一人の私は、
私が死ぬのをじかに感じていて、
そしたら目に見えるもの全部が、
鮮やかになったの。
なぜだかとてもふわふわしていて、
まるで死んじゃう私のために流された
涙のせいで、ありとあらゆるものが
溶けてしまったかのようだった。
でも皆はっきりしてた。
溶けてどろどろになりながらも、
力強く光っていた。
太陽に照らされたお月様みたいに。
綺麗だったの。皆。不思議なくらいに。
【父】 わかるよ。おまえは夢を見ていたんだ。
それも綺麗な夢を。皆が、太陽に
照らされたおまえのように美しい夢を。
しかし今日は日の出が遅いな。
どうやらお日様も、寝坊するみたいだ。
【娘】 お父さんとおんなじね。
【父】 おまえにとって父さんが太陽でいられるん
だったら、父さんはどこまでも
おまえについてゆくよ。
今眠っている太陽よりも身近な太陽として
月のない暗夜でもおまえを照らす太陽とし
て、父さんはおまえの周りを回り続けてみ
せよう。
【娘】 もし私が死んだら?
【父】 ……勿論ついてゆくよ。
おまえが天国に行って、
父さんが地獄に行ったとしても、
必ずおまえの元に戻ってみせる。
【娘】 駄目、
お父さんが地獄に堕ちちゃうなんて嫌。
【父】 死ぬのはいいのかい?
【娘】 駄目、そんなこと言わないで。
【父】 大丈夫だって。おまえ。
太陽は長生きだから。
それに美しい地球を照らせる間は、
消えたりなんかするもんか。
地球が今の地球であるためにも、
今の太陽は欠かせない。
【娘】 うん、そうだね。
でも本当に、あれは綺麗な夢だった。
──真夜中のお月様みたいに。
光って、怖がって、美しかった。
──彼女はとても純粋だったの。
【父】 誰のこと?
【娘】 私のこと。もう一人の。
いいやもしかしたら、
私は死んでいなかったのかも?
なんだか難しくて、よくわからない。
でも、遠くの方まで、
夢の中では透き通るように見えたの。
──私の小さな体には
入りきらないくらいの、喜びが。
【父】 ああそうだろうとも。
なにせおまえは、夢を見ていたのだから。
それも考える隙間なんてないくらいに 、
溢れてしまいそうなほど喜びの詰まった
夢を、ね。だからよくわからないんだよ。
【娘】 ……駄目、よくわからない。
私、眠いのかな?
【父】 おまえはすごい夢を見ていたんだ、
すごい夢をね。
だからきっと、疲れたんだよ。
それにまだ夜は明けていない。
【娘】 また見れると思う?
【父】 見れるとも。おまえがそう望めば。
見れないわけがない。
【娘】 あの時の私、まだ覚えてる。
たった一人で死んでいく私は、
驚くほど美しかった。
美しい景色に囲まれて、
厳かに息を引き取っていった。
まるで光の泉が私の中にあったかのように
からだ中から光が放たれていた。
【父】 今だってそうさ。
【娘】 まるで真夜中のお月様のよう
──あの時死んだのは誰だったのかな?
本当の私? 真夜中のお月様?
それとも怯える心?
洞窟の中を照らす灯火?
【父】 よくわからないんだろ、おまえ。
なら、そう難しく考える必要はないよ。
【娘】 それとも心? 今という時?
遠ざかる悲しみ? 私に落とされた影?
皮膚の動き? 触るということ?
それともお父さん?……お父さん、
そうだ、あれはお母さんだ。
きっと私のお母さんだったんだ。
【父】 けどおまえ、母さんはもう随分と前から
いないじゃないか。まさかそのことを、
忘れてなんかいないだろう?
【娘】 うん。ちゃんと知ってるよ。
でも、いつのことだったんだろう。
もうずうっと昔のように思えるの。
私、お母さんをちゃんと覚えてるのに。
いつまでも覚えていたいのに。
【父】 ああ。なんだか父さんも、
ずっと昔のことのように思えてきたよ。
──太陽が沈んでから、
もう大分遠くの方に来てしまったんだ。
【娘】 あれは昨日の出来事だった。
思っていたよりも、
ずうっと近くて、ずうっと遠い。
お母さんがいなくなったのは、
私が眠る前だった。
【父】 うん。あたかも母さんは、
まだどこへも行っていないかのようだね。
まだここにいて、
おまえの隣で夢を見ているかのようだ。
【娘】 あれは昨日の出来事だった。
【父】 でも、まだ今日という日は始まりたく
ないらしい。
ほら、外を見てみなよ。
普段ならもうずっと向こうにある海を
飛び越えて、この街の頭上へと眩しい
曙光が差し込んできているはずなのに。
今日はまだそれがない。
【娘】 確かに暗いね、
ちょうどお父さんの言うとおりに。
でも、私が見た夢の中には、
ちゃんとお日様があった。
ずうっと私の目の上で、
優しく微笑みかけてくれたっけ。
夢の中で、お日様はきらきらしく
輝いていた……輝き過ぎていた。
なんだか寒い。
ほら、見て、肩が震えてるでしょ?
【父】 ん? 震えてなんかいないよ。
でも、確かに寒いな。
きっと夜が長すぎるからだろう。
もう一度よく外を見てみよう。
まるで鴉の羽のように真っ暗だ。
雲もなければ星一つ見当たらない。
月の明かりもなければ、
がたがたと雨戸を揺さぶる
風のひと吹きもない。
そしておまえの肩も、外の世界に
負けないくらいに静まり返っている。
まるで死んでいるみたいだ。
【娘】 ううん。ちゃんと見て。
震えてるでしょ?
私の手も、肩も、足も両方とも。
よく見て、お父さん。よく見るの。
くたびれたロバみたいにただぼーっと
目をやるだけじゃ駄目。
よく見るってことが大切なの。
……お母さんもそう言ってたよ。
【父】 でも本当に震えてなんかいないよ。
きっと夢のせいじゃないか。
おまえはとても長い間、
それも薄気味悪い湖のほとりに、
ひとりで目を瞑っていたのだから。
その間に迷い込んだ、
怖くて綺麗で甘美な夢のせいだろう。
【娘】 かんびって何?
【父】 もう一度寝るといいよ。
夜は思ったよりもずっと長い。
疲れているおまえの目にもうひとつ、
思わずうっとりしてしまうような夢を
見させるには、十分過ぎるくらいに長い。
【娘】 でも眠れそうにないの。
だって私、疲れてないんだもん。
【父】 いや、おまえは疲れてるんだ。
自分でもよくわからないのか?
きっとそうだよ。
本当は疲れてくたくたなんだ。
なにせ太陽が待ちくたびれてしまう
くらいの間、ずっと眠っていたのだから。
ずっと頑張ってきたのだから……
【娘】 うん、そうだね。
そう言われると、そんな気がしてきた。
私は疲れてる。なのにその疲れは
心の引き出しに溜め込んだまま。
そこで悲しみや楽しい思い出と一緒くた
になって、二度と分けることができない。
……なんだか泣きたくなってきちゃった。
ほら、よく見て。
私の口はいつもみたいに笑ってるでしょ?
でもこの沢山のものを見て取る私の目は、
悲しくってしょうがないの。
変な気分。
どうしてか胸が張り裂けてしまいそう。
【父】 ……おまえは起きるべきじゃなかった。
【娘】 もう一度あの夢を見てみたい。
大昔の暖かい思い出のような、
あの素晴らしい今だけの世界に、
ほかのものは一切寄せ付けない海に、
もう一度だけでいいから入ってゆきたい。
月明かりの照らす、
美しさ一杯の夢に浸り切ってしまいたい。
そして深く深く潜って行って、
美しさに溺れてしまいたい。
【父】 ああ、なぜ目を覚ましてしまったんだ?
父さんはおまえを愛してるんだ。
おまえのためなら死ぬことだって厭わない
そう言っただろ?
なのにどうして、
おまえは目を覚ましてしまったんだ?
【娘】 ああ、今はなんだか甘い気分。
それに熱っぽくて気持ち悪い。
お父さんの言うとおり、
やっぱり疲れてるみたい。
ああ、まん丸お月様が近づいてくる。
綺麗。
まるで妖精、それも世界で一番に可憐な
妖精のよう……
だんだん眠くなってきた。
【父】 眠ってしまいなさい、可愛いおまえ。
もうすぐ夜は明ける。
夢もまだそう遠くへは行っていまい。
【娘】 鼓動が早くなってってる。
まるで追い詰められた兵隊さんが
最期の抵抗に全力を捧げるように、
激しくなってきた。
【父】 眠りなさい、おまえ、
悪いことは言わないから。
おまえの眠りに就くと共に、
太陽は昇るだろう。
【娘】 でも、お母さんは今どこにいるの?
私たちを道外れの標識みたいに残して
ひとりでどこに行ってしまったの?
【父】 母さんのことなら大丈夫だよ。
心配することはない。
おまえは自分のことを考えてればいいんだ。
自分とその不可思議な夢、
それと少しばかり父さんのことをね。
母さんは、大丈夫だから。
今頃はきっと太陽の下で微笑みを輝かせて
いるに違いない。
横たわる大木の日当に座って、
お日様や草木と楽しくお喋りをしながら、
温かなお茶でも飲んでいるに違いない。
勿論、おまえがプレゼントしてあげた
帽子を被ってね。
ほら、目を瞑ってみなさい。
すると白い世界がどこまでも開けて
くるだろう?
【娘】 お父さん、私、目を瞑った。
【父】 どう? 何か見えてきた?
【娘】 うん。お父さんの言うとおり、
白い世界が見える。
本当にどこまでもどこまでも白一色……
遠くに人影が見える。
お母さんが見える。
お父さん、どうしてお母さんは
行っちゃったの? 私たちを残して。
【父】 母さんはどこにも行ってないよ。
その白い世界の中に、
今も見えたんだろう。
【娘】 うん。
【父】 なら気にすることはないよ。
それにおまえには、
ずっと父さんがついてるだろ?
【娘】 そうだね。
お父さんはどんな時でも一緒にいてくれた。
私が海辺でお城を作っていた時も、
お父さんに叱られて半日泣き止まなかった
時も、ちょうど今のように暗い夜の中、
二つの光がこっちに向かって手を差し
伸べてきた時も。
それにしても、今日は本当に暗いんだね。
もう何も見えなくなってきちゃった。
【父】 ああ、そうだね。
さっきよりも一段と闇が濃くなった。
もう何も見えない。
外はどうなってるんだろう。
【娘】 私、怖い。でも不思議。
ちゃんと怖いのに、
何が来ても大丈夫だってわかってる。
【父】 ……ああ、そうだね。
何が襲って来ても、
今より恐怖は大きくなれない。
何も恐れる必要はない。
【娘】 みんなが息づくのを感じる。
壁も毛布も箪笥も空気も、
みんなが息づいているのを感じる。
お父さんだって、お母さんだってそう。
そしてその全てが、私の呼吸で一つになる。
【父】 眠りなさい、おまえ。
幸福なうちに眠るといい。
そうすればきっと、さっきよりももっと
素晴らしい夢が見られるだろう。
おまえの一生を天秤に掛けてみても
持ち上がることのない夢が見られるだろう。
【娘】 瞼が重い……眠ってしまいそう。
【父】 それでいいんだよ、おまえ。
おまえの幸せは父さんの幸せ。
父さんがおまえを夢まで送る列車になって
あげよう。
いや、お前を乗せたまま、平穏で色鮮やか
な夢路を一緒に旅してあげよう。
私がおまえをどこまでも
連れて行ってあげよう。
おまえが望むままに、
至る所にレールを敷きながら。
【娘】 もう駄目。
力が抜けていく。
おやすみなさい、
お父さん。
【父】 おやすみ、おまえ。
ゆっくりおやすみ。
父さんはどこまでもついてゆくよ。
たとえ息の続かない海底の砂漠であろうと、
街灯の一つもない路地の導くその先で
あろうと、
不運にも悲惨な出来事によって
押し込まれた暗い棺の中であろうと、
輝き続けるおまえよ、
父さんはついてゆく。
だから安心してゆっくりおやすみ。
我が愛しい娘……
──幕──